熊谷東小学校の開校記念日について
1873年(明治6年)4月30日、学制により、正則小学熊谷学校を設立(熊谷寺借用)以上より 4月30日が開校記念日となっています。
熊谷寺
埼玉県熊谷市仲町にある浄土宗の寺。蓮生山常光院と号する。熊谷次郎直実が晩年仏門に入り、故郷熊谷の館(やかた)跡に草庵(そうあん)を結び蓮生庵と号したのを始まりとする。日本大百科全書(小学館)
8月報恩寺に移転
「報恩寺」は熊谷市肥塚にある曹洞宗の寺院。
『熊谷歴史年表 市制施行四十周年記念』『新編熊谷風土記』に「明治6年1月熊谷学校(正則小学校)を熊谷寺に設立、分校を「報恩寺」に置く。同年3月熊谷学校本校を報恩寺に移したが、昭和20年8月15日の空襲で焼失。
本校が『正則小学熊谷学校』として明治6年に熊谷寺と報恩寺で開校した頃には、女子教育として「手芸」(裁縫と行儀作法)がありました。明治12年、教育令制定に伴い『公立熊谷小学校』となった頃には「裁縫」と改められました。女子教育として「裁縫」が重視され、明治24 年には「裁縫」の教授内容が明確にされましたが、明治43年、本校の前身である『熊谷男子尋常高等小学校』と「熊谷女子尋常高等小学校」とに分かれたため、内容は熊谷西小学校の前身となった熊谷女子尋常高等小学校に受け継がれました。女子尋常高等小学校では、大正8 年に理科に含まれていた「家事」が独立し,高等小学校では「家事裁縫」が必修で「家事」が選択科目となりました。昭和10年、『熊谷東尋常高等小学校(共学)』として現在地に開校したときには、女子のみに「裁縫」と「家事」があったようです。
昭和16年、「国民学校令」により『熊谷東国民学校』となったときには、4・5・6年生の女子が「裁縫」を学習し、高等科の女子が「裁縫」「家事」を学習していました。
昭和22年『熊谷東小学校』となったとき、新教科「家庭」が創設されました。民主的な家族関係を根底とした家庭建設者の育成を目指し, 5・6年の男女が学習することになり、現在に至っています。それまでの女子教育として位置づけられていた「家事裁縫」ではなく、男女がともに学ぶ教科として、民主的な家庭建設ができるようにすることを目指してスタートしました。
(学校便り 平成21年2月号より)